-コデラ的-Slow-Life-:古いカメラが指し示す未来

ジャンク品として売られていた壊れたカメラを、分解修理してよみがえらせるようすをつづる本連載。「それは得なのですか?」と問われることも多い趣味だ。59回目となる今回だが、初めてこのコラムを読む方も多いだろう。改めて、この趣味の面白さがどこにあり、筆者がなぜこんなに夢中になるのか考えてみた。

 スチルカメラはデジタル技術と出会ったことで、まさに「再発明」に匹敵する劇的な進化を迎えている。次々に新しい技術やアイデアが投入され、性能だけでなく色や形にまで、入念な設計がなされるようになってきた。

 しかし、カメラの本質を追い求める高級機になればなるほど、昔のフィルムカメラのあり方にどんどん近づいてきているというのは、面白い現象だ。一方で色や形のバリエーションが自由なコンパクトデジカメは、従来のカメラとは枝分かれして、もはや違うモノになりつつある。

 改めて思うのだが、かつてデジタルのブレイクスルーを迎える前、カメラはそれ以上の進化が望めなかった時期があった。しかしそこから少しさかのぼれば、カメラは今のデジカメブームに匹敵するような「発明」の時代があったのだ。

 古いカメラになればなるほど、エレクトロニクスが使われない。しかし、目指す理想は高くあった。それを実現するために使える部材は、ゼンマイとスプリングと歯車、そしてフィルムを巻き上げる人の力。技術者はこの限られた条件の中で、いかに自動で適切なアクションを設計するかに工夫を凝らした。配られるカードが同じなら、勝敗を分けるのは知恵だけである。

 数十年前の古いカメラをいじることは、その発明の課程を追体験することである。デジタルとITの時代に、古い技術に価値がないと思うのは早計だ。未来が過去と現在の延長線上にあるのならば、現在だけを必死に追っても、未来の方向は見えない。過去を長く知れば知るほど、過去と現在をつなぐ線分は長くなる。そしてその延長線が指し示すずっと先の未来は、より確かなものになる。

古いから面白い

 この連載では、中古カメラ屋でジャンク品として見捨てられたカメラを買って来ては分解し、修理し、元の性能に復帰させていく。その課程で、内部に込められた技術や思想、そして先人の知恵を拾い上げていく。今のデバイスは、すべてデジタルの中にテクノロジーが集積されている。しかし古い機械式のカメラは違う。目で見て、手で触れることで理解できる技術なのだ。

ay_kdr01.jpg 最近のお気に入りはハーフカメラの「Univex Mercury II」

 →「-コデラ的-Slow-Life-」連載バックナンバー

 筆者は、数十万円の値段が付いた、完動品のライカにはまったく興味がない。このあたりは、いわゆるクラシックカメラファンとは志向が全く違っている。壊れたものを調べ、オリジナルの動作を推測する。推測が正しければ直るし、間違っていればジャンクがパーツに戻っていくだけである。

 そのパーツも、無駄にはならない。同じ世代に作られたカメラに移植されて、別のカメラを救うことになる。何よりも、ただカメラで写真を撮るだけの人とは比較にならない、深い知識が手に入る。

 壊れたカメラを修理して使うのは得なのか、という問いに関しては、正直よく分からない。アキバのジャンク屋巡りが好きな人に、それは得なのかと聞いても、答えはないのだと思う。ただ、昨今のデジカメでは撮れないような、ユニークな絵が撮れることも少なくない。しかも買いに行っても気に入ったものが必ずあるわけではなく、気長に出会いを待つほかない。すべてがコントローラブルな世の中で、こんなに自由にならない買い物も、またないだろう。

 ただ気に入ったモノを1台手に入れると、晴れた日には出かけたくでうずうずするという、子供時代の感覚がよみがえる。それはデジカメをポケットに入れていくとか、ケータイでスナップを撮ることとはまた違う写真との付き合い方である。今となっては二束三文で手に入るが、そこには当時のサラリーマンが欲しくても高くて買えなかった、まぎれもない本物の確かさがある。

 古いカメラは、私達に何を語ってくれるのだろうか。それを一緒に、探しに行こう。

小寺 信良

photo

映像系エンジニア/アナリスト。テレビ番組の編集者としてバラエティ、報道、コマーシャルなどを手がけたのち、CGアーティストとして独立。そのユニークな文章と鋭いツッコミが人気を博し、さまざまな媒体で執筆活動を行っている。最新著作はITmedia +D LifeStyleでのコラムをまとめた「メディア進化社会」(洋泉社 amazonで購入)。


Copyright© 2016 ITmedia, Inc. All Rights Reserved.





Special

バックナンバー

誠Focus