1964年、東京オリンピックの公式計時を担当することになったセイコーは、手巻きの「クラウン」をベースに、ワンプッシュ式のクロノグラフを開発し、国産初のクロノグラフウォッチとして発表する。“国産初”ということは、1964年以前、国産腕時計にはクロノグラフ機能を搭載したモデルは存在しなかったわけで(!)、そう考えると1940年代に何種類ものクロノグラフを世に出していたオメガやブライトリングの技術力は、ずいぶん進んでいたんだなぁ、と気づかされる。
そんな前振りをしておきながら、今回の“時計探訪”で取り上げるのは、国産初のクロノグラフではなく、同時期に発表された国産初の「ワールドタイム」。
1964年という年は、東京オリンピックが開催され、海外から選手団をはじめとする多くの外国人が来日するとともに、それまで制限されていた日本人の海外渡航が自由化された記念すべき年でもあった。主要都市の時刻が瞬時に分かるワールドタイムは、まさに絶好のタイミングで、それも時代の要請によって出るべくして登場した時計だったといえる。
とはいえ、当時の海外旅行は庶民にとってまだまだ手の届くものではなかった。ヨーロッパ16日間の旅は67万5000円(参考URL――ジャルパック商品史:http://www.jalpak.co.jp/corporate/commodity.html)。ちなみに当時の大学卒の初任給は2万円前後。手元の資料にはワールドタイムの当時の値段はないが、先のクロノグラフが8500円とあるので、それに近い値段で売られていた可能性が高い(参考までに当時の飲食代はビール115円、もりそば50円)。
今回撮影したワールドタイムは、定期的なオーバーホールが行われている時計なので、発売後40年以上経過しているにもかかわらず現在も現役で活躍中。「壊れたら捨てる、買い替える」が当たり前の現代、古い物を何十年も大事に使い続けることは実にエコ。それに機械のメンテナンスを何年かごとに行うことは時計職人の確保や技術維持にもつながる。ヨーロッパの街並みのように、“いいものは手間とコストをかけても残そう”という心意気が大切なんだと、改めて感じる。
文字盤を見ると、12時位置にSEIKO WORLD TIME、6時位置にAUTOMATIC DIASHOCK 17JEWLSの表記。また現在のワールドタイムではお目にかかれない都市名、レユニオン/REUNIONなどの名前があるのも興味深い(REUNIONはマダガスカル島東方のインド洋上に位置する島)。ちなみに、同モデルを紹介するコメントで、「世界24都市の時刻が読み取れる」というのをたまに目にするが、これは誤り。日本との時差1時間で設定すると24時間で24都市と設定と考えがちだが、実際には26都市の名前がプリントされている。
初代モデルに搭載されるムーブメントは諏訪精工舎製の自動巻きCal.6217A。17石、30メートル防水。自動巻きローターにはSEIKOと17JEWLSの文字が刻印。4年後の昭和43年にはCal.6117搭載のセカンドモデルが登場するが、ローター上にあった刻印はなく、初代モデルだけの特徴のひとつ。
スナップバックケースの裏蓋にはオリンピックの聖火マークが刻印されていると聞くが、写真のモデルは経年変化&研磨のせいか、ほとんど消えており識別不能(残念)。セカンドモデルの裏蓋は、ねじ込み式のスクリューバックケースが採用された。
1964年、東京オリンピック開催とともに輝かしくデビューしたファーストモデル。40余年の時を経て、北京オリンピックが開催される今年、最新のワールドタイムを見てみると、かなりスゴイことになっている。
なにがスゴイかといえば、まず、現時点で考えられる中で最も正確なソーラー電波時計に進化している点。10万年に約1秒の誤差という銀河系レベルの高精度で、しかも、世界3エリア(日本・アメリカ・ドイツ)で標準電波の受信が可能という、いたれりつくせりな腕時計となっている。また、ファーストモデルが自動巻きで動力を確保していたのに対し、現行機種は太陽光や蛍光灯などの光を電気エネルギーに換えて蓄えるソーラー充電システムを搭載。一般のクオーツ時計に必要な電池交換のわずらわしさもない。
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