関西の顧客満足度No.1はドコモ――ドコモ関西に聞く Interview: (1/2 ページ)

» 2006年10月20日 21時11分 公開
[神尾寿,ITmedia]

 各キャリアの新端末・新サービスが出揃い、いよいよMNPに向けた競争は本番を迎えようとしている。MNP開始時に激戦区となりそうなエリアは全国にいくつかあるが、その中でも注目の1つが関西エリアだ。この地域の稼働シェアはNTTドコモが52%、auとツーカーのKDDIが32%、ソフトバンクが16%であり、ドコモのシェアが全国平均よりやや低い。各キャリアがそれぞれ“攻防”を繰り広げる市場環境にある。

 今日の時事日想は特別編として、NTTドコモ関西マーケティング部部長の三木修氏にインタビュー。MNPに向けたドコモ関西の姿勢や戦略を聞いた。

NTTドコモ関西マーケティング部部長の三木修氏

関西は「過去にドコモが負けた」地域

 「関西は、かつてドコモが(他社に)負けたことがある唯一の地域」

 インタビューの冒頭、三木氏はそう述懐した。関西地域でのこれまでの市場競争を振り返ると、大きく4つのターニングポイントに分けられるという。

 まず最初の時代が携帯電話の普及率が3%程度だった1989年からの5年間、当時はドコモが53%、関西セルラー(KDDIの前身)が47%とシェアが拮抗していたという。ドコモは全国エリアの広さを、関西セルラーは小型の携帯電話をセールスポイントにしていた時代だ。

 ドコモが苦戦し、一時的にせよシェア競争で負けたのは、1994年のことだ。関西デジタルホンとツーカーホン関西の市場参入や端末の「お買いあげ方式」(2005年10月7日の記事参照)の導入、デジタル方式の開始などの変化の中で、ドコモは9カ月でシェアを15ポイントも落とし、一時的に市場シェアは38%までに急落した。ドコモは関西地域で業界2位になった。この時の衝撃や悔しさは関西以外のドコモ社員にとっても強烈な印象を残しており、今でも「携帯電話の世界では、(NTTグループの)ドコモでもあっという間に負けることがある。(シェアの高さに)油断してはいけない」と語る生え抜きの幹部や中堅社員は多い。

 1995年に阪神淡路大震災が起こる。この時、ドコモ関西のネットワークは携帯電話キャリアの中で最も通話可能エリアを維持し、移動基地局車の派遣や被害にあった基地局の復旧も早かった。大震災は不幸な出来事だったが、そこでドコモのネットワークに対する信頼性が証明されたという。

 「大震災の直後からドコモの信頼性にお客様の需要が集中し、約半年でトップシェアを取り戻しました。その後、端末の小型化やムーバのエリア拡大、ドコモショップの展開などにも注力した結果、1998年までにシェアを47%まで回復できました」(三木氏)

 1999年、ドコモだけでなく携帯電話業界全体に大きな変革を及ぼした「iモード」が登場した。当時のドコモ関西はJ-フォン(現ソフトバンク)の「J-スカイ」サービスの伸びに早期から着目し、危機感を持っていた。そこでJ-スカイに対抗する目的もあり、iモードの積極的なマーケティングを実施。関西地域で47%だったシェアを、翌年には55%と8ポイントも向上。1996年以降続いた“ドコモグループで地域シェア最下位”から脱出した。

 そして最近の大きな変化が、2002年のJ-フォンのカメラ付き携帯電話による躍進と、その後に続いたauの急伸だという。

 「ドコモはカメラ付き携帯電話の実現で後れを取りましたし、一時的にJ-フォンに負けたauが、その後に一気にサービスを強化してきた。これらの影響により、ドコモ関西のシェアは53%まで減少してしまいました。

 しかし、2004年からマーケティングの強化によりドコモの純増が盛り返しており、その勢いが今に至っています」(三木氏)

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