ピカソ、ゴッホも愛した少し高貴なノート「モレスキン」の魅力:モレスキン「ちょっと苦手」な人必読
19世紀以来の歴史を誇る文具「モレスキン」。人によっては敷居の高さを感じるらしい。なぜ“何を書けばいいのか分からない”のか。文具好きのそんな悩みを解消する方法を一冊の書籍を参考に考えたい。
モレスキンは悠久の大河である。
19世紀後半にフランスで生まれたモレスキンは、百数十年もの間、ほとんど形状を変えずに生産してきた。その間にはヘミングウェイやピカソ、ゴッホ、ブルース・チャトウィンなど、名だたる数多くの人物がモレスキンを愛した。1986年には一時的に絶版となるが、1998年にイタリアのメーカー「Modo&Modo」(現MOLESKIN)によって復刻。以後日本でも愛用者を増やしている。
悠久の流れをたたえる大河
モレスキンは基本的にはノートであり手帳である。初めて世の中に登場した時には、数あるノートの中の1つでしかなかったかもしれない。だが、文豪や画家に愛され、百数十年の時間の中でずっと同じ形で作られ続けたこのノートは、歴史の中でその存在感を確固たるものにした。カバーは、フランス語の「モレ」=「モグラ」、「スキン」=「革」とも訳せるように、“モグラの革”のような材質で作られた堅牢な素材で覆っている。内側にはきらびやかな一文や流麗なスケッチがつづられた、一冊のストーリーをなすための存在としてのオーラを備える。
これは、世にあまたあるノートの中でも奇跡的な成り立ちだ。システム手帳の元祖たるファイロファクスを別にすれば、極めて例外的な存在だといえる。
この神話性は同時に、市井のモレスキンユーザーに使い方の方向性を規定した。多くのモレスキンユーザーが、自分だけの“一冊のストーリー”を練り上げるためにそれぞれの美意識を持って利用しているのだ。初めて登場した19世紀から現在まで、無数のユーザーがこんなふうに使い続け、それが連綿と続いているのだ。19世紀に端を発した大河はゆうゆうと今後もおそらく続く。そしてモレスキンを購入して使い始めることは、意識するしないにかかわらずこの大河の流れに加わり、その一滴となることである。
ライフハック的な文脈に登場した1冊目ガイドブックは……
先日ダイヤモンド社が刊行した『モレスキン 人生を入れる61の使い方』(共著:堀正岳、中牟田洋子、高谷宏記)は、そんなモレスキンユーザーの2011年現在の使用例を切り取ってみせた書籍だ。この本を開くと、“モレスキン大河”が今も流れ続けていることが分かる。
同じ著者(堀氏、中牟田氏)による前作『モレスキン「伝説のノート」活用術』(ダイヤモンド社)は、オーソドックスなモレスキンの使い方に加え、ライフハック的なニュアンスを盛り込んだものだった。具体的には、一般的なモレスキンの使い方に加え、GTDツールや体験した全ての出来事を記録するユビキタスキャプチャーツールとして使う提案も含まれていた。特に昨今は文具がライフハック的な文脈で捉えられていたことを鑑みれば必然的な結果だった。
この構成には賛否があったという。“美意識に貫かれた一冊のストーリー”。こんなモレスキン観を持ったそれまでのユーザーにすれば、本来的ではない使い方に違和感があったことも理解できる。
さてでは、本来の在り方とは何か。それは、モレスキンをよりモレスキン的に使うこと。すなわち、かつての文豪や画家、紀行作家のように旅の記録や日々のよしなしごとを淡々と、そしてきれい/スタイリッシュに書き綴ることではないか。
それは、ノート/手帳としては例外的な、著名な文化人に見初められた経緯があったからだろう。
どう使えばいいか分からない
以降のモレスキンは、これらの手本を踏襲するような形で使われるようになる。ユーザーは、それぞれの美意識に貫かれた人生記録のためのノートという路線を踏襲したいと思って使い始める。それは、モレスキンが当初作られていた時も、ブームになっている現在の日本でも同じだろう(『モレスキン 人生を入れる61の使い方』に対する違和感もここに起因すると思われる)。
モレスキンを愛するユーザーが増える一方で、文具好きの人たちの間には、このノートに対する違和感のようなものが同時に生まれている。「買ったけれども何を書いていいのか分からない」「どう使えばいいのか」。
仮にこの感じ方を「モレスキンフォビア(※編集部注:「フォビア」とは苦手、恐怖症などを意味する)」と呼ぼう。モレスキンフォビアの正体は、前述したモレスキンの歴史や神話性に由来する。“画家や文豪にならい、自分の美意識を最大限に発揮して一冊のストーリーを作ろう”。ここ数年の間に歴史を細かく紹介されたモレスキンは今やそういうオーラをまとっている。それ故、単なるノートではなくそういう美意識に沿って使わなければならないような、言ってみれば作法が必要な文具に見えてくる。
これがモレスキンフォビアの正体なのだ。
モレスキンフォビアを克服する“大河の六十一滴”
批判もあったが『モレスキン 人生を入れる61の使い方』は、モレスキンフォビアを克服するためにはまたとないガイドだ。タイトルから分かるように、これはユーザー61人の事例をひたすら集めて見せている。
これはモレスキンフォビアに対するこれ以上ない処方せんである。6つの章に分かれた同書には、「モレスキンと旅」という一章がある。ここには、まさにユーザーの美意識に貫かれた一冊のストーリーたる利用事例だ。だが、他のページはどうだろうか。駄じゃれを記録しているだけの人もいれば、シャープペンでひたすら文章を書いている人もいる。そのそれぞれは、美意識というよりは好みとかセンスというべき、肩の凝らないニュアンスに貫かれている。
ユーザーの肩書も、別に写真家とかデザイナーばかりというわけではない。事務員もいれば専業主婦もいて、中にはものまねタレントや刑事さんもいる。登場当初の19世紀後半には、そういう市井の人々が使っていたのではないか。同書はそんなことも思わせてくれる。
ハヤテノコウジさん作「外国を訪れた際に旅の思い出をつづったモレスキン」。これは北欧芸術の数々に刺激されて生まれたスケッチ。写真よりも記憶の再現性が強いそうだ(出典:ダイヤモンド社『モレスキン 人生を入れる61の使い方』。以下、同様)
大河は流れる中で、多くの支流を生み出しつつ、いずれは海にたどり着く。そして、同書に登場した61の実例はそういう大河の六十一滴である。そしてこれだけの例を見れば、モレスキンフォビアが単なる杞憂であることが分かる。
大河の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず。大河の流れの細かなそれぞれを決めるのは、一滴たるユーザー自身だ。出荷されたモレスキンは、ユーザーの手に渡った瞬間から、ユーザーが自由に使っていいのだ。『モレスキン 人生を入れる61の使い方』は、そういうことを思い出させてくれるまたとない一冊なのである。
著者紹介 舘神龍彦(たてがみ・たつひこ)
アスキー勤務を経て独立。手帳やPCに関する豊富な知識を生かし、執筆・講演活動を行う。手帳オフ会や「手帳の学校」も主宰。主な著書に『手帳進化論』(PHP研究所)『くらべて選ぶ手帳の図鑑』(えい出版社)『システム手帳新入門!』(岩波書店)『システム手帳の極意』(技術評論社)『パソコンでムダに忙しくならない50の方法』(岩波書店)など。誠Biz.IDの連載記事「手帳201x」「文具書評」の一部を再編集した電子書籍「文具を読む・文具本を読む 老舗ブランド編」を発売
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