「民主的なチーム」が崩壊するワケサイボウズ式(1/2 ページ)

政治における「民主主義」は、非常に画期的な発明であったと評価できます。しかし、ビジネスにおいて「民主的」であることは本当によいことでしょうか? 今回は、話し合い重視の雰囲気の良いチームが必ずしも成果を出せるわけではないという話です。

» 2014年06月12日 11時00分 公開
[サイボウズ式]

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本記事は「サイボウズ式」に掲載された「「民主的なチーム」が崩壊した話」から一部抜粋・編集して掲載しています。


「民主的」であることはチームにとって重要か?

 僕がまだ会社員として働いていたころの話です。

 ある時期に僕が所属していたチームは、とても「民主的なチーム」でした。チームリーダーは意見を押し付けるような物言いを一切しない人で、僕たちメンバーの話をとてもよく聞いてくれました。プロダクトの仕様を決める際にも役職関係なく思ったことが言えるので、「気が進まないけど、仕事だからしょうがねーな」といったようなやさぐれた気持ちで働くことはほとんどなく、気持ちの面ではだいぶ働きやすく感じていました。

 しかしこのチームは、ビジネスという観点では全くと言っていいほど成果を上げられなかったのです。納期は予定より2回も延期され、プロダクトのリリース後も目標としていた数値を達成することができず、最終的にはプロジェクトは中止、チームは解散という憂き目にあいました。

 「民主的」という言葉は、一般的には肯定的な意味でとらえられます。そう考えると、「民主的なチーム」も理想的で、とてもよいチームのように思えます。それなのになぜ、この「民主的なチーム」は崩壊してしまったのでしょうか? 今日はそんなことについて少し考えてみたいと思います。

なぜ「民主的なチーム」は崩壊したのか

 僕が所属していた「民主的なチーム」がなぜ崩壊したのか、今になって振り返ってみると、理由は大きく2つあると考えられます。

 1つは、民主的であるがゆえにコミュニケーションコストが爆発的に増えたことです。

 「民主的なチーム」では、基本的に物事は話し合いで決まります。リーダーが勝手に決めたら、それは民主的とは言えません。ちょっとしたことでも話し合いが必要になるので、必然的に会議に割かれる時間が多くなります。会議、会議、会議の連続で、「業務時間中は朝から晩まで全部会議!」なんてひどい日もありました。

 こうして会議に時間が取られるようになると、肝心な他の作業のための時間が削られます。時間がなくなれば、当然やれることも少なくなります。プロジェクトの最後のほうには、

 「こうなったら休日出勤もしようか」

 といったような悲惨な提案まで出てきて、チームの雰囲気自体も次第に悪くなっていました。

 2つ目の理由は、「話し合い」を重ねることによって、とんがった意見がすべて丸くなってしまったことです。

 ある人が「すごく面白い」と考える案も、他の人が見た場合には「全然面白くない」ように見えることは結構よくあります。そういうときに「話し合い」で解決しようとすると、最終的には無難な案に落ち着くのは目に見えています。無難な案は確かに万人から悪い評価を受けたりしませんが、誰かの心に深く突き刺さるようなこともありません。

 一般消費者向けのサービスを作るプロジェクトの場合、これは特に致命的です。「みんなで話し合えば話し合うほど、いいものになっていく」というのは、実際には幻想にすぎません。話し合えば合うほど、無難でつまらないものになっていくという側面もあるのです。

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