田舎の米国人が知っている日本は、真珠湾とカラテとTERIYAKI世界を変える80年代生まれの起業家(1/2 ページ)

16歳で単身渡米し、21歳で米国で起業した伊地知さん。前回のインタビューでは、ベンチャー起業の理想型についてでしたが、今回は、高校時代の米国留学体験から人生の目的について伺います。

» 2013年11月07日 11時00分 公開
[山口哲一,Business Media 誠]

集中連載「世界を変える80年代生まれの起業家」について

 本連載は、山口哲一著、書籍『世界を変える80年代生まれの起業家』(SPACE SHOWER BOOks)から一部抜粋、編集しています。

日本を活性化させるのは、80年代生まれの起業家だ!

国内の雇用環境の激変を背景に、若者の職業選択は大きく変わろうとしている。自己実現を1つの手段として、生き方として、新たに自らサービスを創造する「起業という選択」が注目されている。

本書では社会に新たな価値を提示し果敢に挑戦をし続ける、注目の80年代生まれの起業家10人に焦点をあて、彼らの起業動機やサービスのコンセプト、事業のあるべき姿、将来や人生の目標などをたずね、彼らの真の姿を浮彫りにしながら、起業という「もう1つの生き方」を提案。

シューカツの社会的矛盾と起業という選択肢の価値を問う。


プロフィール:

伊地知天(いちじ・そらと)

creww(クルー)株式会社 代表取締役

16歳で単身渡米。2005年カリフォルニア州の大学在学時、21歳でアメリカにて起業。

その後7年で米4大ネットワークの1つであるFox社をはじめ、600社を超える世界中の企業のWeb戦略をサポート。アメリカでの事業売却やフィリピンでの起業を経て、2012年自身4社目の会社となるcrewwプロジェクトを開始し同年8月に法人化。その後ベンチャーキャピタルから出資を受け現在サービスを拡大中。


田舎の米国人が知っている日本は、真珠湾とカラテとTERIYAKI

 僕の原体験は、高校時代の米国留学だったと思います。たまたま、高校の時に政府がやっている交換留学プログラムに応募してみたのですが、英語ができるほうじゃなかったので受かるとは思ってなくて――。ラッキーと思って行ったら、サウスキャロライナ州のすごい田舎町でした。これまで日本人を見たことがある人は1人も居ないような街です。日本料理は「SUSHI」と「TERIYAKI」でした。そんな田舎にまで届いていることがすごいですけれど(笑)。

 本当に田舎で、日本と中国の違いも分からない。「ジャッキー・チェン」って呼ばれていました。カンフーとか出来ないですけどね(笑)。8割は黒人という環境で、その中で唯一のアジア人ということもあり面白がられて仲良くしていました。その後、カナダの高校へと進むのですが、異文化の経験は貴重だったなと思います。

 「真珠湾(注1)で日本は卑怯だった」と言われることもあって、慌てて、日本と世界の近現代史を勉強したりもしました。そして大学からはカリフォルニア州に移り、その後10年以上を米国で過ごす事になりました。

注1:Pearl Habor ハワイ・オアフ島にある入り江。米国人は、太平洋戦争の開戦は、日本軍の真珠湾への卑怯な奇襲から始まったと理解していることが多い

 米国の話をたくさんしていますが、日本は素晴らしい国だと思っています。日本人も素晴らしい。外国に住んで外から見れば見るほど、実感していることです。

 日本人の協調性や国民性は世界一です。ただ、みんな同じでなければいけないという、多様性を認めない風潮があって、これは変えなくちゃと思ってます。

 誇りある日本人でいるために、起業が普通になる国にしていきたいです。

一生、起業家でいたい

 将来の夢を聞かれますが、僕はずっと起業家でいたいです。信頼できる仲間と一緒に、新しいサービスを提供してユーザーに喜んでもらえるとしたら、僕にとってはそれが一番幸せな人生だと思うんですよ。

 いくつになっても、新しいサービスを考えて起業する。また、いろんな起業家を支援する。そんな人生を生きていきたいです。

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