自身の経験を臆することなく後輩に語れますか?田中淳子のあっぱれ上司!(1/2 ページ)

若手社員に話をするとき、自分が最もイキイキと語れて、相手も熱心に耳を傾けるのは自分自身の経験をエピソードに盛り込んでいるとき。過去に失敗したり、上司や先輩からしかられた話はどんどん披露してみよう。

» 2013年01月09日 17時00分 公開
[田中淳子,Business Media 誠]

編集部からお知らせ

 ITmedia エグゼクティブでの人気連載「田中淳子のあっぱれ上司!」が誠 Biz.IDにて再開します。悩める上司と部下の付き合い方を、企業の人材育成に携わって27年(!)の田中淳子さんが優しくにこやかに指南するこの連載、部下とのコミュニケーションに悩んでいる上司はもちろん、そうでない上司も必見です!


 私が2歳になるちょっと前、父の仕事の関係で家族そろって渡米し、3年間暮らしていた。米国で暮らすきっかけは内科医だった父の決断だ。上司でもある教授にある日「田中君、アメリカに行ってこないか」と言われ、「はい」と即答したのだと言う。

 最近、このことが非常に不思議に思えてきたので父に聞いてみた。「英語もまったくできないのに不安はなかったのか、断ろうとは思わなかったのか」と。すると父は、上司に「行ってこないか」と言われたから、「ああそうか」と思っただけだったのだそうだ。当然アメリカでは英語で苦労したらしいのだが、なぜか周囲に助けてくれる人も現れて、3年間の任期を終えて帰国した。

親の若かりしころの姿を想像してみる

 なぜこんなことを父に尋ねてみたかというと、最近、身近で「英語が出来ないから海外赴任はちょっと……」とか「英語がもっとできるようになったら、海外出張をしてみてもいいけれど、今は」と、海外に出ていくことをためらうような30〜40代にたまたま出会ったからだ。

 まだ1ドル360円の時代で、日本人が今ほど認知されていないような時代である。父も米国赴任などちゅうちょしたのではないかと急に疑問に思ったのだ。「そういうものかと思ったから行っただけ」という父だけでなく、母も2歳児を連れての外国生活なんて心配ではなかったかと思ったのだが、母も「まあ、大丈夫かなあと思って渡米した」と答えてくれた。

 そんな父も今や老齢で海外どころか国内旅行でも腰が重い。それでも若かりしころは、そんな風に元気に海外へ飛び出て行ったのだなあ、と思うと、両親に対してリスペクトの気持ちがあらためてわいてきた。

 子どもから見ると親の若かりしころの姿は想像がつかないものだ。特に、自分も働くようになると、そのころは既に引退まじかの年代に差しかかっているものだから、両親だって青雲の志を持った若者だったことをつい忘れてしまう。両親が元気なうちにこういう話をきちんと聞けてよかったと思っている。

両親に聞くように、上司の体験談を聞いてみよう

 さて、こんな話を持ち出したのは、企業でも似たようなことがあるだろうと思うからである。40〜50代の上司にだって20代のころ、新人のころがあった。けれども、20〜30代の部下からはちょっと想像がつかない。

 課長だとか部長だとかそれなりのポジションになっている上司は、風格があり、近寄りがたく、そういう彼、彼女らに自分と同じような青春時代があったことは、頭では分かるけれど、感覚的に想像がつかないものだ。

 だから、つい「上司には、僕の今の苦労など分からない」「上司には、私の思いなど通じるはずもない」と理解されることをあきらめてしまうこともある。だが、当然のことながら中高年にだって「何にも分かっていなくて、何もできなくて、それでいて大勢に迷惑を掛け、大勢に許してもらってきた過去」はあるのである。だから自分のそういう時代の話を若手にしてみれば、若手は案外耳を傾けてくれるものである。

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