日本上陸150年で大きく変わった手帳事情、国家から賜る物から自分で作るモノへ事例付き「手帳カスタマイズ術」(1/3 ページ)

手帳が日本に上陸したのは幕末のころ。以来、国家や会社からもらうものであった手帳が近年は大きく様変わりした。自分で購入するようになっただけでなく、カスタマイズが普通になっているのだ。

» 2011年12月15日 12時00分 公開
[舘神龍彦,Business Media 誠]
文久2年(1862)幕府使節として、ヨーロッパ歴訪の際ベルリンにて(出典:Wikipedia)

 福沢諭吉が日本に手帳をもたらしたのは1862年(文久2年)。明治維新から平成に至るこの150年間に手帳はどう変わったのであろうか。

明治期の手帳は“国家から賜るもの”

 1862年、欧州使節団の一行に加わった福沢がパリで購入したものが日本に手帳がもたらされたルーツだと言われている。

 ここから起算すると2012年は、日本に手帳が登場してから150年目の節目にあたる。この150年間に、手帳はどのように変わったのだろう。おおざっぱに言えば、日本においては手帳は国家から賜る物から、自分で作るモノになったのではないか。

 明治維新後の日本の手帳は、現在に連なる手帳の歴史の端緒だと言える。その1つは、大蔵省(現財務省の前身)によって作られた「懐中日記」である。そしてもう1つは、軍隊手牒だ。どちらも国家が国の特定の機関に従事する人間に対して貸与したものだった。手帳と名がついてはいても、文具店で買うわけではなかったのだ。

もらうものから買う物に

 所属する団体や共同体からもらうものという明治期の手帳の性格は、平成不況直前の手帳まで続く。会社が社員に配る年玉(ねんぎょく)手帳は、折り返しに社是社訓が入り、巻末の便覧には年齢早見表や度量衡一覧、印紙税一覧と並んで本支店名の住所と連絡先を記すのが一般的だった。こうした年玉手帳はかつてよりも減ってはいるが、依然として利用されている。

 ところが平成不況のために、企業は社員に配布する手帳を廃止するところが多くなった。こうして手帳は(会社から)もらうものから、(自分で)買うものになったのである。その結果1億冊とも言われる手帳の市場が生まれたわけだ。

 近年、手帳の種類も使われ方もその幅がどんどん広がっている。まず種類だが、毎年新しいアイデアの手帳が次々と登場している。また、色もサイズも綴じ方もまちまちなものがこれでもかとばかり年末の文具店を埋め尽くしている。

“文具”と“ビジネス書”に挟まれた肥沃な三角州

 使う側の工夫も相当なものだ。雑誌の手帳特集では、独創的な使いこなしを披露するユーザーを数多く掲載している。それらを見て分かるのは、手帳がユーザーの工夫によって“作られ”使われる道具になりつつあることだ。

 たとえ使っているのが同じほぼ日手帳であっても、あるいは「超」整理手帳であっても、同じ使われ方をしている例はほとんどない。必要な役割・機能をになわせるのがたまたま同じ種類の手帳である。そんな感じなのだ。

 この背景にあるのが、一連の手帳関連書であることは論を待たない。「フランクリン・プランナー」の解説書だったり『「超」手帳法』だったりとさまざまなのだろう。それらの本を読んだ人たちが“自分の手帳ももっと活用したい”と考えて実践するのは当然の帰結だ。それはまた、自己啓発からライフハックに至る一連のビジネス書の隆盛とも地続きのブームだと言えるだろう。

 その一方で文具もまたブームだ。誠 Biz.IDをご覧ならご存じのように、この1〜2年、文具を扱ったムックが立て続けに発行されている。また文具をテーマとしたブログも枚挙にいとまがない。その結果、ハードウェアとしての同じ手帳が、使われ方としては千差万別になっているという現実が生まれている。

 見た目は同じiPhoneでもインストールしてあるアプリがばらばらということと、それはよく似ている。その意味で、誠 Biz.IDの「いかに自分オリジナル手帳を作るか」という見出しは圧倒的に正しかったわけだ。

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