特殊な装丁の本も自炊には向かない。例えば銀色の紙に黒インクを使って印刷したページなどは、再現の度合いを云々する前に、ドキュメントスキャナでの読み取りが困難だ。余談になるが、ドキュメントスキャナによる本のデジタル化を防ぎたい出版社各位は、こうしたページを本のどこかに挟み込んでおけばいいかもしれない。広げるとA3以上になるグラビアページを挟み込んでおくというのも効果がありそうだ。文藝春秋社の「Number」のように、紙質がドキュメントスキャナと激しく相性が悪く、連続して取り込めない場合もある。
そして、自炊に向く向かない以前の問題として、そもそも本に愛着があって裁断するのに抵抗があるというケースも少なくないだろう。本をバラバラにすること自体、本に愛着があればあるほど心が痛むし、スキャンしたあとの本を古紙として処分するのにはさらに心苦しさを感じる。
このあたりは個人の価値観や倫理観の問題なので一概にどうこう言える問題ではないが、決して「ぜんぶ紙」「ぜんぶデジタル」という二択ではないわけで、気が向いた本から試してみて、メリットが実感できたらほかの本に着手するといった気軽さでよいと思う。筆者自身、これまで数百冊の本を「自炊」しているが、装丁も含めて愛着のある一部の本は、「自炊」せずにそのままの形で残している。
話の脱線ついでに、筆者の“自炊化アクション”を参考までに紹介しておく。電子書籍端末に収められている本は「繰り返し読みたい本」がほぼすべてであり、ほんの少しだけ「これから初めて読む本」が含まれている状況だ。割合にすると「9:1」といったところである。
筆者は通常、読んだ本を5段階でレーティング。本を購入するとまずリアル書籍の状態のまま目を通し、評価4以上(=再読の価値あり)と判断すれば「自炊」してPCに入れる。そしてもう1度読もうと思った時点で電子書籍端末にデータをコピーし、読み終えたら削除する。この繰り返しだ。結果的に電子書籍端末の中にずっと入りっぱなしになる本もあるし、漫画単行本などは比較的短いサイクルで入れ替わる。評価3以下(=再読の価値なし)と判断した本は古書店に売るか、あるいは個人的な評価が低いことを申し添えた上で知人に譲っている。
図書館で本を借りて読むことも多いが、この場合も評価4以上の書籍はあらためて買い直して「自炊」している。図書館なら無料でいつでも借りられるのにどうして、いう声も聞こえてきそうだが、気に入った本は手元に置いておきたいし、図書館の蔵書は順番待ちのことも多いからだ。第一夜中に読みたくなった時に手元にあってくれないと困る(筆者はかなりの夜型だ)。そんなわけで、図書館から借りて再読価値ありと判断した本は定期的にまとめて買い直して「自炊」している。知人から借りて読んだ本についても、おおむね同様のアクションを起こしている。
ポイントは、評価が高い本が筆者の手元で“一生”を終える仕組みになっていること。評価5と4の本はコンテンツとしては筆者の手元に残る一方、裁断した本は古紙としてリサイクルに回す。しかし評価3以下の本はふたたび市場に流通する。つまり「非常によい」「よい」と思った本については再流通の可能性をなくし、市場から在庫を減らすことに貢献しているわけである。
古書店のビジネスを否定するつもりは毛頭ないし、エコの観点からは異論もあろうが、読者→古本屋→読者→古本屋というループは著者の利益につながらないとの指摘も(主に著者の側から)多い。裁断によって再流通の芽をつぶすことによって、新刊が売れる可能性を増やしていることになる。遠回しではあるにせよ著者と出版社に新刊が売れるチャンスを還元しているこのアクションは、個人的には悪くないのではないかと思っている。
一方、最近になって、買ってきた本を目を通さないまま直接「自炊」に回すケースが増えてきたのも事実だ。さきほども触れたが、読む機会を逃して「積ん読」状態になっている本は、「自炊」して電子書籍端末に入れてやることで、読み始めのきっかけになったりする。たとえ読まなくとも本棚は最低限すっきりする。積ん読本が多い人は、それらを消化するための手段の1つとして「自炊」を試してみる価値はあるかもしれない。
と、前フリだけで紙数が尽きてしまったが、次回はいよいよ裁断およびスキャンのノウハウや細かいTipsをお伝えしていく。
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