「人生の暗黒期」を乗り越える4つの処方せん「7つの習慣」セルフ・スタディ・ブック 第七の習慣(2/3 ページ)

» 2010年01月22日 09時00分 公開
[フランクリン・コヴィー・ジャパン,Business Media 誠]

 私はその文字をじっと見つめた。

 「何だ、これは?」

 私はそう思った。音楽もニュースも人との会話も禁止しておきながら、他にどんな音があるというのだ?

 私は顔を上げ、耳を澄ました。寄せては返す波の音、カモメのキーキーという鳴き声、頭上高くを飛んでいく航空機のブンブンという音。それ以外、何も聞こえなかった。聞こえるのはいずれも耳慣れた音ばかりだった。

 私はかがみ込み、少し馬鹿馬鹿しいと思いつつも草の中に頭を突っ込んでみた。そして、発見したのだ。精神を集中して自然に耳を傾けてみると、すべてが静止するような一瞬が訪れることを。その静寂の瞬間、頭の中を駆け巡る諸々の思考が停止した。自分自身の外にある「何か」に真剣に耳を傾けようと思ったら、自分の頭の中で騒ぎ立てている声を黙らせなければならない。つまり、頭を休ませるということだ。

 私は気づいた。車の座席に座りながら、自分が自分自身よりも大きなものに思いを馳せていることに。そして、それによって救われた気持ちになったことに。

 正午頃になると、私は2つ目の「処方せん」を広げた。今度の指示は「記憶を辿りなさい」だった。

 私は車を離れ、実験してみることにした。おぼろげな記憶のイメージに、画家になったつもりで色をつけ直し、輪郭をはっきりさせてみようと思った。具体的な出来事を選び、細かい部分をできる限り取り戻そうとした。人々の服装や仕草すべて思い出そうとした。彼らの正確な声、笑い声の響きに耳を傾けようとした。

 2つ目の時間は1つ目のとき以上に速く過ぎ去った。太陽がゆっくりと傾き始めたとき、私の心は熱心に過去をさまよい、いくつかのエピソードを蘇らせたり、すっかり忘れていたその他の記憶を掘り起こすことに夢中になっていた。

 例えば、私が13歳で、弟が10歳くらいのとき、父は私たちをサーカスに連れて行ってくれると約束した。だが、昼食時に電話が入り、何か急な用事ができて父は町に行かなければならなくなった。そのとき、父はこういった。

 「いや、パパはあきらめないぞ。ちょっとの我慢だ」

 父が食卓に戻ると、母は微笑みながらいった。

 「サーカスはまた来るわよ」

 「そうだね。だが、子ども時代はそうはいかない」

 父はそういった。

 このことは今なお私の記憶にあり、与えられた優しさが全く無駄になったり、完全に失われたりすることはないのだということを、突然の暖かな輝きが教えてくれた。

 次の指示は意外だった。今度の指示は穏やかなものではなかった。命令のような響きがあった。

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