おもちゃを独り占めする娘、あなたならどうする?君はパラダイム転換を体験したか――『7つの習慣』より

しかるべきプロセスを踏むことを嫌い、近道をしようとしてもうまくいかない。おもちゃを独り占めする娘に対してあなたがすべきこととは?

» 2009年08月28日 10時41分 公開
[スティーブン・R・コヴィー(訳:ジェームス・スキナー、川西茂),フランクリン・コヴィー・ジャパン]

苦境の時代にこそ原則(プリンシプル)の力

 パラダイム転換――。インターネットなどの情報技術に発展により、時代の流れが速くなったと言われる現代。折しも、昨年秋ごろの世界的な金融危機にその流れはさらに加速しています。経済的な苦境を脱するため、ありとあらゆる戦略や戦術が語られてきました。しかし、この未曾有の時代に本当に必要なものとはなんでしょうか? 市場環境や状況がいかに変化しようと、変わることのない、原則・プリンシプルではないでしょうか。絶えず変化し続ける世界に対し、自分自身の中で原則を貫くことが苦境を乗り切る力になるのです。「7つの習慣」と「第8の習慣」は、原則に生きるための確実な羅針盤として、あなたを応援します。


『7つの習慣』(インサイド・アウト)より

 テニスピアノなど、ごまかしが全く効かない分野において成長のレベルは意識しやすい。しかし、人格や精神の成長に関しては、ごまかしが効くことがあるので、成長のレベルを簡単に測ることができない。

 他人の目を欺こうと格好をつけたり、着飾ったりすることは簡単である。できるふりをすることも可能だろう。自分自身さえも騙(だま)せるかもしれない。しかしながら、ほとんどの人は、自分自身の本当の人格のレベルを知っているだろうし、長期的には周囲も必ずその真実を見抜くだろうと、私は確信している。

 企業においても、しかるべきプロセスを踏むことを嫌い、近道をしようとして迎えた結末を、私は過去何度も見てきた。経営者は檄(げき)をとばすような演説や、従業員の態度を改めるための研修、外部のコンサルタントによる改善計画や買収合併などによって、高い生産性や品質あるいは顧客満足を確保できる新しい企業文化を「購入」しようとする。しかし、そうした行動は職場の信頼を低下させてしまっていることに目を向けようともしない。そして、自分の使っているテクニックが思うような結果を生み出してくれないとなると、今度は別の個性主義に基づくテクニックを探し始める。こうしたことを繰り返すばかりで、信頼の高い組織文化を支える基本的な原則をずっと無視し続けるのだ。

 何年か前のことになるが、私は父親としてこのプロセスという原則に違反してしまったことがある。ある日、仕事から帰ると、3歳になる娘の誕生パーティーが始まっていた。彼女はリビングルームの一角に座り込み、もらったばかりのプレゼントを抱え、ほかの子供たちにそれを貸すまいとしていた。はじめ私は、娘を取り巻いてそのわがままぶりを見ていたほかの子供たちの親の視線に恥ずかしさを覚えた。当時、わたしは大学で人現関係論を教えていたから、なおさら恥ずかしく思った。親たちが私の対応の仕方に何か期待しているのを痛切に感じた。

 部屋の中には、一種険悪な雰囲気が漂っていた。子供たちは皆、娘の周りに群がり手を差し出しては、プレゼントのおもちゃで遊ばせてほしいと頼んでいた。しかし、娘は頑固にもそれを拒否し続けた。私は、自分に言い聞かせた――「分かち合う」ということを娘に教えるべきだ。「分かち合う」ことは社会の基本で、大切なことだから――。

 単純に頼んでみることから始めた。

 「おもちゃを貸してあげてくれないかな」

 「いや」

 きっぱりと断られた。

 次に、理屈で訴えてみることにした。

 「君がおもちゃを貸してあげれば、今度よその家に行ったときに、おもちゃを貸してもらえるよ」

 「いや」

 またしても即座に答えが返ってきた。

 娘を全くコントロールできない姿を晒(さら)し、私は恥ずかしくてたまらなかった。今度は買収にかかった。

 小声で、

 「おもちゃを貸してあげたら、いいものをあげるから。ガムがあるぞ」

 「ガムなんかいらない」と娘は叫んだ。

 もう、どうすればいいのか分からなかった。第4の策として、脅迫した。 「貸してあげなければ、おしおきだぞ」

 「いいもん。これ、あたしのだもん。貸してなんかあげないもん」

 そう言うと、娘は泣き出した。

 最後は実力行使である。娘のおもちゃを力ずくで取り上げ、ほかの子供たちに渡した。

 「さあ、これで遊んでいいよ」

 娘には人に貸し与えるという経験の前に、所有するという経験が必要だったのだと思う(そもそも所有していないものを、どうして人に貸し与えることができるだろうか)。父親として、娘にそうした経験をさせてやるためには、自分の側にもっと高い精神的な成熟が必要だった。

 私自身の低いレベルから、娘に高度な期待を押しつけた。娘の行為に対して忍耐したり理解したりすることができなかったために、私は娘に、友達に物を貸し与えるように要求した。自分の人格の弱さを補うために、自分の地位や権限から力を借りて、自分の言いなりになるよう強要したのである。

 しかし、「力を借りることは、弱さをつくり出す」。まず、力を借りた人間が弱くなる。なぜなら、物事を成し遂げるために、外的な力はいっそう依存するようになるからだ。そしてまた、強要された人も弱くなる。自主的な判断力や自制の力が育たないからである。最後にはお互いの関係も弱くなってしまう。協力の代わりに恐怖が生まれ、一方はますます防衛的になっていくからだ。

 身体の大きさ、地位、権限、肩書き、容姿、過去の実績などが力の源になっている場合、それが変化したりなくなってしまったりすれば、はたしてどういう結果になるだろう。

 私自身がもっと成熟していたならば、内的な力――つまり、真の分かち合いや成長の原則に対する理解や、娘に対する愛、彼女の成長を思う心――を活かし、分かち合うかどうかの選択の自由を娘に与えることができたはずだ。あるいは、説得に失敗しても、皆の興味をゲームやそのほかの遊びに向かせることで、娘にかかっていた精神的なプレッシャーを解消してやることができたかもしれない。後で分かったのは、子供は所有する気持ちをきちんと経験しさえすれば、ごく自然に、自由に、自発的に分かち合うようになるということだった。


 さらに詳しい内容を知りたいという方は、書籍『7つの習慣』をご覧ください。次回は部下に対する見方を変えるパラダイム変換についてをご紹介します。


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