自信をもって進むには? 狂言師に聞いた客観視する方法「早起きは三文の得」実行委員が行く(2/2 ページ)

» 2008年09月30日 08時30分 公開
[豊島美幸,ITmedia]
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一体これでいいんやろうか――そう思って“海外逃亡”

(左)茂山家の家紋、四つ目菱について説明中。(右)朝EXPOの会場となったオアゾでは、「着物に恋する朝」と題し、モダンでしゃれた着物を多数展示。朝から目の保養になりそうだ

 トークショーの間は終始穏やかな表情を見せた茂山さんだったが、「本当に自分のやっている芸は正しんやろか? 自分は今、何をしてるんやろか?」とモヤモヤとしていた時期があったという。

 一族の男性全員が狂言師である狂言一族に生を受けた茂山さんは、4歳で初舞台を踏む。「正しいかそうでないかを判断する間もなく」狂言一筋で生きてきた。モヤモヤした思いは、そんな時ふとわきおこった素直な感情だった。

 茂山さんは一路パリに飛ぶ。1年間、芝居の武者修行に出たのだ。「1回30分を1日2〜3回。年間で700回、狂言していることになるんです。だから狂言から離れるにはもう……海外逃亡するしかないって思いましたね」と、苦笑いする。実はこの狂言師、役者としての顔も持つ。折りしも9月29日は、舞妓の着付け役で「ときどき」出演するというNHKの連続テレビ小説「だんだん」の放送開始日だった。

 自分が身を置いていた内側の世界をいったん飛び出し、外側の人と生身でぶつかることで、今まで自分が生きてきた環境や日本を、初めてリアルに客観視できたという茂山さん。修行の末、行き着いたのは「日本のすばらしさ」であった。

 「日本の文化って何やと思いますか? 日本人自身が快適に心地ようなるために、長年培ってきたもんなんですよ。その共通認識を否定する必要はない」。そう気付けたことで、胸の中でくすぶっていたモヤモヤが消えたという。

 「年齢は関係ないんで、自分がよう分からなくなったら海外に行ってみるといいですよ」と、晴れやかな表情でアドバイスする。

人生に「たら、れば」は必要ない

 「昭和54年生まれの狂言師で僕はトップ3に入るんです……。まあ僕の知る限り、昭和54年生まれの狂言師は3人しかいないんですけどね」と、茂山さんは冗談まじりに言う。「狂言の練習は強制的」だったが、家元の次男の次男ということもあり、「(進む道)は好きに決めていい」と言われて育ったという。そして最終的に、狂言師になることを自分で選んだ。

 もし狂言師以外になれるとしたら何の職業に就いてましたか? そう尋ねると、「人生に『たら、れば』は必要ない」とキッパリ答えた茂山さん。「でももし、パリに留学していなかったら、今でもモヤモヤしながら狂言していましたね」

 心底楽しそうに狂言について語るその顔からは、狂言の道を進むことへの迷いは感じられない。「僕にとって狂言は歯磨きと一緒。べつに磨かんでも死なない。でも磨かんと精神衛生に悪いんです」

 何がしたいのか分からないまま就職した会社で働きつづけ、気付けば10年の節目を迎えていた。そんな時ふと、「この会社にい続けていいんだろうか?」「このまま同じ仕事を続けていいんだろうか」「一体自分は何をしているんだろう……」などとモヤモヤしているビジネスパーソンもいるだろう。そんな時はいったん道を逸れ、外から客観視してみたら――モヤモヤが吹き飛んで今より自信が持てるかもしれない。

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