すごい人たちに追いつきたい──MagicSketch・浜本階生さん田口元の「ひとりで作るネットサービス」探訪(1/2 ページ)

社会に大きな影響を、しかも良い影響を与えるようなサービスや製品を作りたい。だから30歳まではひたすら勉強する──。一時は「Webから取り残されていた」とまで思っていた浜本階生さんのサービス開発とは。

» 2007年10月17日 13時44分 公開
[田口元,ITmedia]

 「ひとりでつくるネットサービス」──第17回目は、グルメ情報を独特のインタフェースで検索できる「EatSpot」、英文構成に便利なツール「NativeChecker」、Wikipediaをもっと便利に検索できる「Sensr」、アイデアを手書き感覚で投稿・共有できる「MagicSketch」などを作っている浜本階生さん(25)にお話を伺った。次々とWebサービスをつくりだす浜本さんは、どのようにサービス開発をしているのだろうか。

尊敬する先輩に出会い、QuickC、Delphiへ

 「Webの世界にはすごい人がたくさんいます。今はとにかく勉強してその人たちに追いつきたい」。そう話す浜本さんはまだ25歳。現在は、学生時代からアルバイトしていた会社に就職、Webシステムの企画、運営をしている。

 尊敬するエンジニアは、Javaのフレームワーク、Seasarを開発しているひがやすをさん、Plaggerを作った宮川さんなど。「社会に大きな影響を、しかも良い影響を与えるようなサービスや製品を作りたいのです」。将来、そうしたサービスのアイデアを思いついたときにさっと作れるようになっていたい。だから30歳まではひたすら勉強するという。「でも30歳になってもその人たちに追いつけるとは思わないのですが……」。はにかみながら浜本さんはそう語る。

 最初にパソコンに触ったのは小学校3年生のとき。そのときの先生がBASICを知っていて、目の前でプログラムを書いてくれた。画面に丸が表示され、それが動く──というだけのプログラムだったが、浜本さんの目は画面に釘付けになった。先生が指示したとおりに画面に何かが生まれた。「これは魔法だ」。そう思った。それがプログラミングとの出会いだった。

 中学校に入った浜本さんは、新学期になって配られた技術の教科書をぱらぱらとめくっていた。その最後に載っていたのがパソコンのプログラムだった。単純な数あてゲームのプログラムだったが、それを見た瞬間に小学校3年生のときに見た「魔法」を思い出した。「これだったのか!」。その日はずっとその教科書をむさぼり読んだ。放課後にはパソコンルームにこもってそのプログラムを打ち込んだ。

 その日からパソコンルーム通いが始まった。N-88 BASICのレファレンスマニュアルを見ながらゲームを作ってみようと思った。親が厳しかった浜本さんの家にはゲーム機がなかった。友達の家にいりびたってファミコンでゲームをすることが大好きだった。将来はゲームの開発者になろう、と思っていた浜本さん。BASICにはまるのに時間はかからなかった。

 中学校1年の終わりごろには簡単なアクションゲームも作れるようになっていた。気球を操って画面の左右から流れてくる弾をよけるゲームだ。気球には慣性の法則がかかるので操作にはコツがいる。しかも画面の中で風が吹くようにもなっていて、操作を複雑にしていた。

 BASICにのめりこんでいた浜本さんに転機が訪れたのは中学2年のとき。仲が良かった同級生から「うちのお兄ちゃん、パソコンに詳しいよ」と紹介された。いまでも浜本さんが「先輩」と呼ぶ人物だ。彼と話しているうちに言語を変えるように勧められた。「BASICは遅い。大したことはできないからCをやったほうがいい──」

 その「先輩」を尊敬していた浜本さんは、すぐに「C言語入門」を買い求めて勉強を始めた。親に「QuickC」を買ってもらい、Cでプログラムを組み始めた。どうしても速度が重要なところはアセンブラも駆使するようになった。

 そのころ、市販ゲームとして人気だった「ぷよぷよ」。ただ浜本さんからみれば「ぷよぷよ」のPC版は遅すぎた。「よし、Cを使ってもっと速いものを作ろう」と決めた。当時使っていたPC98はVRAMが弱いため、グラフィックスではなくてテキストを使うようにした。ただテキストでは表現力が今ひとつ。そこでぷよぷよのキャラクターを外字登録プログラムを使って描き、その外字を動かすことで速度を稼いだ。動かない背景などはグラフィックスを使って作り上げた。

 「このプログラムが同級生に好評でした。昼休みになるとみんなが僕の作ったゲームで遊んでくれました。本当にうれしかったです」

ビジュアルに開発が可能で、ObjectPascalを採用したDelphi。写真は「Delphi 6」

 そのころから浜本さんはゲームだけでなく、ユーティリティツールにも興味を持つようになる。学校のパソコンルームにあった座席予約システムを作り直し、先生にかけあって代わりに自分のプログラムを使ってもらうように提案したこともあった。浜本さんのプログラムの出来に驚いた先生はすぐに快諾してくれた。同様に理科室にある地震計の計測プログラムも、浜本さんが作り直して学校に採用された。

 中学2年生のころからは、県が主催するプログラミングコンテストに出品するようになった。優勝すると20万円がもらえた。浜本さんはゲームやペイントソフト、シミュレータソフトを作って中学2年から高校3年までコンテストに挑んだ。しかし、結果はいつも2位。優勝していたのは彼が尊敬していた「先輩」だった。

 高校になると「先輩」に「そろそろDelphiを始めたほうがいい」と勧められた。彼の言葉を信じていた浜本さんはすぐにDelphiの勉強を始める。Delphiは画面をデザインする操作が直感的で使いやすかった。

ボタン型ラウンチャーソフト「Cool Launcher」。現在は開発終了している

 高校2年生のときにはWindows用のランチャーソフト「Cool Launcher」を作った。無料版と有料版を作り、有料版は1本1200円にした。ベクターに登録すると何千人もの人がダウンロードしてくれた。そしてそのうちの何パーセントの人は有料版を購入してくれた。自分の作品がお金になる。それが単純にうれしかった。

 ただ、そのあと大学に入った浜本さんは合唱部の活動にのめりこんだ。指揮者だったので練習の内容も考えないといけない。プログラミングのアルバイトもしていたし、インターネットも見てはいたが、しばらく積極的に開発するようなことをやめていた。

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